• 松本一生

コロナ禍の忌避 ケア職へのエール

 3日前、午後の診療を終えて京都の自宅に戻ろうと駅に向かっていた時のことでした。先代から(内科医だった)母の患者さんとして来院されていた人の娘さんで、ボクもよく知っている人と出会ったとき、ちらっとボクを見たその人は90度方向を変えてボクと出合わないように行ってしまいました。


 大阪の病院でもコロナ禍が始まってから、患者さんを受け入れる病院の前にあるバス停で、看護師が乗ろうとしたところ、「コロナがうつるから乗るな」と乗客が叫びました。

 

 「差別だ!」「けしからん!」と怒る人もいるかもしれませんが、無理ない面もあります。今回の敵は大災害や他国からの侵略よりも手ごわい相手です。だって見えずにいつの間にか感染する恐怖ですから。ワクチンや治療が確立した後には「あんな時代もあった」と言えることでも、今のわれわれには「最も親しい人が、自分の脅威になるのではないか」という恐怖があり、その恐れこそ、「自分とは別の世界のことであってほしい」という誰にも共通するこころの反応を引き出し、結果として差別的な言動につながります。弱い人ほど敵意を見せますが、究極の状況ですから、ね。

 感染を防ぐために各県の知事が「わが県に来ないでくれ」とテレビで訴えるほど、ひとのこころが疑心暗鬼になっている今、どうにも止められない「流れ」ができてしまいました。


 昨日もグループホームをしている友人から「職員の家族が感染を恐れて、仕事をやめるように言いはじめた」という悲鳴のメールが来ていました。家族からすれば、介護職・医療職あるいは行政などに携わっている大切なひとに、「危険だからやめて帰ってきなさい」と言いたい気持ちはわかります。しかし、ひっ迫した状況でこれ以上のスタッフが欠員すると、ケア自体が成り立たなくなることも事実です。


 今、医療や介護にいるわれわれにとって最も大切なのは「それでも現場に残る気持ちがあるか」という人生からの問いかけにどうこたえるか、を考えることです。まぎれもなく自分の心に自らがどうこたえるか、人生で最大の問いかけに、私たちが答えを出さなければならない時が来たのだと思います。

 

 このメッセージはみんなに「職にとどまれ」と言っているのではありません。介護職であってもその人が感染すると家族が困る場合などには職を辞する人がいても当然です。一方で在宅ケアの介護者が感染してしまうとたちまちケアが破綻する地域のことを考えれば、その人たちを支えるべく、恐怖と向き合いながら「それでも私は現場にとどまる」との決断をするケア職もたくさんおられることでしょう。

 どちらも間違っていません。それぞれの事情です。しかし後者を選択する人は、(そんなあなたの覚悟にもかかわらず)先日のボクのように「感染源」のように見られることも覚悟しながら、これからも支えあい連帯していきましょう。

 

 そんなとき、今一度思い出してください。彼らが見せた恐怖や敵意は、その人が持つ恐怖や不安の大きさに比例していることを。決してケア職、医療職のあなたに向けられた敵意ではなく、この絶望感、徒労感に対するものであることを。


 「こんな時こそ、誰かのためになりたい」と仕事を選んだあなたが、感染から身を守り、次の時代にも他者を支え続ける存在であり続けられるよう、決して無理をしないことも大切です。一時の頑張りによって疲弊しないよう、じっくりと長く地域を支えられるように。われわれには「~にもかかわらず、人のために人生を生きる」という大きな命題が託されているのです。




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