• 松本一生

院長ブログ(125回)病的体験が癒えるとき

最終更新: 3月6日

 その人に会ったのは4年ほど前のことでした。担当することになったグループホームの入居者として。

 彼女は若くして認知症になったため、夫や家族とは住むことができなくなって入居したのでした。若くて体力もあり、高齢者が多くを占めるグループホームでは力を持て余していました。グループホームは対象が「認知症」となっていますから、当然、ほかの入居者も病と向き合いながら生活している仲間です。しかし年齢の差は思う以上に生活のずれを起こして、入居者同士の支え合いの体制にはなっていませんでした。

 そんな彼女の支えとなるべく、グループホームの隣に認知症カフェを作ってくれたのは、同じ女性として彼女に限りない共感を持つグループホームの管理者でした。それ以来、コーヒーを入れてくれる彼女には「やりがいのある仕事」ができました。彼女自身の努力もあり、グループホームの職員が一体となって彼女のサポートを続けたおかげで、それから2年ほどは認知症が進まず、安定した生活が永遠に続くかと思えました。


 しかし状況は少しずつ変わりました。1年ほど前から不安感と共に、これまでにはなかった感覚が彼女をとらえるようになりました。誰かがいるような感覚、だれもいないのに自分のそばに誰かがいて、しかもその人が自分に何かをしようとしているような、不思議な感覚でした。音や光に対して鋭敏になるため、「まぶしさ」や「騒がしさ」を避けて、自室にこもりがちになり、スタッフはケアが足りないために彼女が交流を避けるようになったのではないかと心配しました。


 診察の結果、これまで影を潜めていた行動・心理症状による状態変化になっていたことがわかりました。よく「ケアが正しく行われていれば、決して行動や心理の混乱は起こらない」と言われたりしますが、それにあてはまる例もたくさんある一方で、全くそのような心理学的理解には当てはまらない場合があることも経験してきました。認知症が脳の変化を伴う病気である以上、その変化によって本来なら出ないはずの症状が出ることがあるからです。ケアが十分にできていたにも関わらずスタッフに向けられる被害感、自宅で身を削るようにしてケアしたにも関わらず、介護家族に向けられる拒否感、それらはまさに脳の変化からの「症状」でした。


 しかし症状論だけになると、医療には「こころ」がなくなってしまいます。敗血症の人に抗生物質を点滴で投与した時にも、熱が下がるまでの間、その人に寄り添い、「心配しなくて良い」と不安や恐怖と向き合うことこそ、医療が担うべき領域です。


 さあ、ボクはこれからグループホームの管理者、介護職とともに彼女のこころを支えましょう。診察の時に彼女が見せた不安感、そして疑いの気持ち、誰かが突然、自分の部屋にやってきて「何かされる」と思う恐怖、体験をともに乗り越えることがこれからの仕事です。

 われわれ精神医療が「病的体験」とよぶこれらの症状に対して、ボクは医療者としてだけではなく、その人の苦しみを軽減できる相談相手として、これからも共に歩いていくことが求められているからね~。





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