• 松本一生

これからも(6)メリークリスマスうどん

 京都の二条河原町のマンションに戻って1年、いつもカトリック河原町教会に寄って帰宅しますが、今日はクリスマスイブ、いつもより多くの人が夕闇迫る教会に来ていました。

 教会のミサに毎週日曜日に行くことはなくなりましたが、いつもボクのこころの中には若い頃の教会との思い出が残っています。その最たるものがクリスマスイブの素うどん、メリークリスマ素うどん(ここまで読んでアホらしくなった人、ごめんね)なのです。


 かつてボクが通っていた大阪の教会では24日の真夜中から25日のクリスマスをみんなで祝うために深夜ミサが行われていました。寒いクリスマスの夜、仕事終わりに深夜ミサに参加する多くの信者さんが少しでも体を温めてくれるように、ボクら教会の「若い衆」が朝からうどんやそばを準備するのがクリスマスの定例になっていました。朝から買い出しをして500玉ほどのだしを取り、その夜に備えながら毎年のクリスマスを迎えます。ミサが終わりうどん屋の後片づけが終わる午前2時のクリスマスが、その後の自分を作ったように今でも感じます。


 あれから40年以上が経過しましたが、いつもボクの人生はこの時の経験のくり返しです。自分のために何か欲を出せば何一つうまくいくことはありませんでした。自分のことよりも「誰かのために」と(本心から)思ってやる場合にだけ、ほんの、ほんの少しだけボクには力が出ます。それをいい気になって「次には自分の利益のために」と考えて動いたとたん、どん底まで落ちていくことのくり返しです。


 医者になるときも大学教員になるときも、自分のためにトライしたらすべて惨敗で、一度諦めて、もう自暴自棄のつもりになって(自分を捨てて)、「誰かのために役に立つのなら」とトライした時に何とかなるという、何とも情けない結果になりました。こんな自分だからこそなのでしょう、がむしゃらに頑張って大成功するとか、財を成すとか、そういった成功にはまったく縁がない人生になってしまいました。

 それでもまだまだ俗世界に未練が多く、決して宮沢賢治の羅須地人協会のような生活にはならず、今でも俗っぽいのは生まれ持った傾向なのかな~と思いますが。


 メリークリスマス。妻のように自由に生活ができない人も、その人をケアする人も、そしてそれらのケアを支える人も、みんながみんな、それぞれに生きるのは苦しく悲しい。それでもね、あなたやボクが「誰かのことを思って」動くとき、それをじっと見守る守護の天使がいることを感じさせてくれるのが、今日という日なのでしょうね。

メリークリスマ素うどん。


 





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