2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

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日々を生きる(10)Jアラート

幼いころ、両親がよく言っていました。「私たちは戦争で悲惨な体験をしたから、お前たちの世代が徴兵されたりしないように、これからの社会を作っていかなあかん」そう言った父は歯科専門学校の学生の時に志願兵になった人でしたが、それは「国に対する忠誠」などからは程遠く、士官になれば食べるものには困らないという動機だったと聞いて育ちました。本音なのか照れ隠しにそう言ったのか、今となっては知る由もないのですが。 母も極端な人で、「また戦争になりそうになれば、いち早くどこかの国に逃げる」と東京オリンピックのころに言っていた記憶があります。二人そろってファンキーな親でした。 関西は予告なしのミサイルの飛翔時、対象とならなかったため、昨日はJアラート、スマホ警報はありませんでしたが、夕刻のテレビ放送を見てボクの友人、北海道の人々の上をミサイルが通過した時の映像を見ました。中には高齢者の入居施設が対応を協議している姿、街を歩く人々が「数分ではどうしようもないです」と困っている姿も。 異国のことだと思っていた風景が、この国でも起きるのだと感じました。シリア内戦や旧ユーゴスラビアの時だって「対岸の火事」だと思ってきたのは何もヨーロッパ西側だけではなく、私たちにも責任があったと思いますが、テレビ画面から聞こえてくる、あの何とも形容しがたい、こころをかき乱すようなアラートの音を聞くと、「どうすれば良いのか」迷う事態が身近にも起きることを再確認しました。 ボクは医師として認知症の人が生きていくことに寄り添い、自分の人生の場がそこにあると確信してきました。歯科医として摂食嚥下(せっしょくえんげ:ものを食べたり飲み

日々を生きる(9)若人の介護離職について

この夏、関西は自律神経が混乱しやすい2~3月が終わり、4月のお花見の時期、5月~8月になっても不安定な日々が続きました。九州の大雨は言うまでもなく、関東の皆さんは8月になって梅雨のように雨が続いて体調を崩した人が多かったでしょう。北海道でも7月ごろにこれまでなかったほどの猛暑があったかと思えば8月には涼しく、国中が不安定な天候に振り回されています。認知症の人も介護家族も支援職もみな等しく体調が悪い夏でしたね。 ボクは自律神経の影響が出やすく、季節の変わり目には体調に気を付けないと休診してしまいます(ひ弱ですみません)。とくに今年は日々の妻の夕食の買い出しも重なり、患者さんの受診も増え、自分の限界を超えてしまいました。朝7時から介護保険関係や診療情報提供書を書き、9時から午後4時前まで診察して(長年通院していた人が来院できなくなった場合などに限りますが)往診が加わります。毎日の診療時間で治まらないこともあれば週末にも。 「しなければならない仕事は増えるばかり、患者さんは断ることはできません。さて、どうしたものか」と悩み、妻の介護家族と医師との両立を考えることになりました。考えてみれば今、大阪に住んでいるのも、妻を京都の自宅に置いておくことができず、大阪で仕事をしながら体制を作ろうとして現在の形になったのですが、この先も体調と折り合いをつけていきたいですから、ね。 この気持ち、全国の介護者、介護家族の皆さん、ボクといっしょでしょうね。前回、これまでとは違う自分と生きてみることをテーマにしましたが、介護のためにボクなどとは比べ物にならないほど悩んでいる人が多いはずです。 ボクは開業医

日々を生きる(8)「こんなはずではなかった」自分を生きてみる

誰もみなそうだと思いますが、自分が「こうなりたい」とか「こうやって自己実現を目指したい」と考えていた時代があったはずです。その希望通りに夢がかなって満足できている人は、そう多くはないでしょう。 おそらく多くの人は「こんなはずではなかった」と人生計画のとん挫を嘆き、自分が置かれた新たな世界を、「こんなところにいる自分ではない」と否定しながら、そこから出られない精神的な状況になっているかもしれません。 ボクもその一人なのかな~。妻の介護者としての自分を受け入れられずに来た3年間、今年のお盆も買い出しの毎日ですが、少しずつ自分を受け入れるように努めています。 ボクが認知症だけを診るようになる前には、カウンセリングを中心とした精神科医をしていて、会社の出世コースから外れて思い悩む人、突然、自身が属してきた会社の派閥が負けて、理不尽ながら左遷されてしまった人が、相談に来ておられました。「おれ、力がなかったのではなく、運が悪かったんです」と言い続ける人の苦悩がにじみ出ていました。 認知症の人も、そしてその人を介護することになった家族にもそういう思いを持った人がいます。少なくともボクが2014年に妻の介護が始まったとき、ずいぶん自分を見失ってそんな風に思いました。「こんな大事な時期に研究もやめて妻の介護だけの日々なんて、これは何かの間違いに違いない」と思い続けて、その事実から逃げようとしたことも、はっきりと覚えています。 何という手前勝手な相手に愛情のない考えを持ったのでしょうか。でもね、やはりボクは逃げたかったんです。せっかく積み上げて、これから本格的にできると思った研究も奪い去られたと自