- 2017年5月29日
診療にて(8)今を生きる人と出会う
日々の診療の中でボクは常に「今を生きるひと」と出合います。認知症という病気が完治することがなく、しかも長年にわたってその病気と付き合いながら人生を送ることが大切であるからこそ、ボクの目の前に座る人々は、「今、ここ」での命の輝きを大切にして、明日に希望をつなぎたいと願っています。 自分の人生を振り返った時に、挫折の多い人生を支えてくれたのは、「今はつらくても希望を失わない」人々でした。自分にはたいした才もなく、それでも支援者になることで生きる価値があると思い続けてきたボクは、認知症と向き合う人と同時代を生きます。彼らは誰かに相談したくても相談する場さえないような状況にあっても、自分をあきらめることはありませんでした。ボクはそういう人々を「支援する」という形を取りながら、実は「それでもあきらめない人々」から力をもらい、支えてもらう毎日です。 かねてより精神医療の世界では「今、ここ(here and now)」を大切に考えます。完全に治癒できる精神疾患も昨今では増えましたが、かつて治療が困難で、しかも今のように著効する薬がなかったころには、「何とかその
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- 2017年5月19日
診療にて(7)診療情報の提供
患者さんとボクとの関係は、当然ながら「人と人との関係」です。言い換えれば出会いと別れがあります。これはいかなる医療機関とも、そして社会生活をする人であればだれにでも当てはまることでしょう。でも、認知症の場合にはちょっと異なる点があるかもしれません。一般的なケガ、例えば骨折をした場合などは、医療機関と出合って受診し、そこで医師と出会い、診断を受けて治療方針が決まればケガが治る時期を待って別れ・・・・と、頻繁に出会いと別れをくり返す受診形態になります。 認知症は中核症状としての「ものわすれ」や判断力の低下などとともに行動・心理症状(BPSD)が出るため、当事者や家族、地域の人にもマイナスのイメージを伴うことがあります。しかもマンションなら「下の階に住むうちに風呂水を溢れさせないか」、「火を出さないか」など、「迷惑なことをしないか」という偏見の目で見られる人も多いのが現状です。本人の人権を守り、長い通院期間を通して、その人に「今、できること」を見出していけば、その人に対して周囲の者が過剰な偏見を持つことを防げるはずです。しかしその偏見をなくす発言をする
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- 2017年5月9日
診療にて(6)カルテを書く
今でもボクのカルテは手書きです。これだけコンピュータが発達して、さすがに診療の保険請求まで手書きでしているわけではなりませんので、そちらは電子請求ですが、診察してカルテの記載は今でも手書きです。論文や原稿を書く機会も多く、すでにパソコンを使って文章を書き始めて20年たちましたので、カルテも…、と思うのですが、ボクはブラインドタッチができません。と、言うことはパソコンで字を書こうとすると画面を見続けなければならないのです。「もっと若い時にやっておけばよかった」と思いますが、時すでに遅し…。今からでも練習できるのでしょうが、それでもキーボードを押しながら面接する気になれなくて、あれこれと言い訳を言いながらこの先も手書きのカルテが続きそうです。 ここまで書けば何を言いたいか、りでしょう。診察の時に手書きのカルテなら相手の顔を見ながら診療すると(もっと積極的に言えばボクの目の前にすわった患者さんや家族の目を見つめれば、相手はオッサンに見つめられてキモいかもしれませんが)話をすることができます。 パソコンの画面を見ながらキーボードをたたき続ける診察はどうし
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