2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

​朝日新聞(デジタル版)お知らせ

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診療にて(2)迷う日々

あ、今回の話は、ボクが道に迷うようになったという内容ではありません。診察してどういった治療方針にするか、日々迷っているという話です。「また、そんなこと書いて!」と思う人もいるとは思いますが、目の前に座った人だけでなく、家族の思いや地域の人々の思いと向き合いながら、自分の役割を考える医療が大切だと思っています。 ボクも地域の開業はしていますが、かかりつけ医としてではなく専門医として日々を送っていますから、(他科の)多くの先生と連携しています。また、これも数えきれないほどのケアマネジャーさんや地域包括支援センターの職員のみなさん、そしてケアマネジャーさん、ホームヘルパーさんと連携、協力しながらみんなに助けられています。とくに認知症という病気は、早期からの医療のかかわりが大切です。20年前ならいざ知らず、今では早く見つけることができれば、対応も早くなり、その人の悪化が遅くなるところまでわかってきました。もちろん、早期診断が早期絶望にならないようにすることこそ、医療が考えなければならない点ですが、生活面への視点も欠かせません。介護や福祉の人々と連携して、日々の生活状況を教えてもらい、家族からの気持ちを聞くことで診療内容が適切になるからです。「この人の日々の生活はどうしているのかな」と迷う毎日です。 これまで別の医療機関を受診していた人が、本人あるいは家族、そして介護職の勧めなどで医療機関を変えてうちの診療所を受診するとき、その人の病名が「このままでいいのかな」と迷うときもあります。かかりつけ医の先生が認知症と同じ意味のつもりで「アルツハイマー」と病名をつけていて、実際に来院されてみると

特別メッセージ 行けたぞ、苫小牧

昨年12月に大雪の中を札幌(新千歳空港)の上空まで行ったにもかかわらず、滑走路の積雪が50センチになっていて着陸できずキャンセルになった講演を無事に終えました。朝1番の札幌行きで、帰りは妻の夕食前に惣菜の買い出しができるまで、日帰りです。とても熱心に聞いてくださる支援職のみなさんの姿、笑顔を見て「再度チャレンジしての講演に大きな意味があった」と感じました。 会場に向かう際、ちょうど1週間前(2017年3月12日)に75歳以上の運転免許保有者の認知症対策を強化する改正道路交通法が施行されたことを思い出しました。広い北の大地で自動車の運転ができなくなると、その人の生活はどうなってしまうのでしょう。 ボクはかつて書いたように自動車の運転免許を取ったことがありません。自転車にも乗れませんので、長年、受診してくれた人が寝付いた時に限り行っている「往診」も、全て地下鉄か市バス、京阪電車、JR、日本タクシーさんのお世話になり、25年間やってきました。ここまで書くと気づかれると思いますが、診療所の周りにはそれほどたくさんの公共交通機関網が張り巡らされているということです。 自分が運転免許を取ったことがないのに、目の前の人が認知症か否か、運転ができるか否か、診断するのがつらくて、「できれば他の所で診断受けてね」と逃げの姿勢ですが、やはりうちも地域の社会資源として、「もう、そろそろ免許証を返納したい」と思っている人の診断をすること、そしてその後、こころに寄り添う努力をすることは、自分の役割でしょう。 10年以上前の話ですが、75歳を少し過ぎたある会社の社長さんが奥様と受診してこられました。「先生、

診療にて(1)病気をわかりやすく説く

妻は元気そうに見えるのですが、いくつもうまくできないことが増えてきました。先日も「エアコンの自動掃除機能を止めたいけれど、自分ではできない」と言ってきました。「やれやれ」と思ってボクがやろうとすると、ボクにもどのように機械を操作するかがわかりません。お互いに歳を取ったものだと自虐的になりそうになって笑った時に、ふと、ある思いが頭に浮かんできました。 「本当に優れた機械なら、誰が操作してもわかりやすく使えるはず。説明書などなくても誰にも使える機械が本当のハイテクではないか、と。 それと同じ思いを常に考えながら日々の診療をしています。認知症という病気は簡単そうに見えて実は多彩な病状を示し、わかりにくい病気です。たとえば「物忘れ」の度合いだけを見れば少しずつ悪化していくさまがわかりますが、それに不安感や「やる気のなさ」など、精神面や行動の課題が重なると病状がきわめてわかりにくくなります。だからこそ説明は誰にとってもわかりやすくなされるべきでしょう。初めてボクの元を訪れて不安の中で診断や診療を待っている人に対して、「何語で話しているの?」と思われるような説明はありえないからです。 精神科医になった時にはワクワクしました。当時はあまり多くの人が精神科医にはならなかった時代で、なんとなく精神科医っていう自分がとてつもなく「嬉しい~」って思ったこともありました。 でもね、「あなたには変性性認知症による前頭葉機能低下が症候学的には認められますが、画像における器質的変化は標準偏差から考えると軽度で…」と言っている自分は、聞く人によっては「▼○×って、あなたは◆▽○●的です」って言っているのと同じ

日々のこと(10)ボクの発散

前回(昨日)の投稿で自分の気持ちを書いたら、ボクの個人的なメールアドレスを知っている全国の友人から8通のメールが来てびっくりしました。あれ、ちょっと悲壮に読めるように書きすぎましたか。何人かの研究者仲間、臨床医、心理の先生、そして誰よりも「認知症の人と家族の会」の友人が「お前、大丈夫か」って。 反応の多さとみなさんの暖かい言葉に胸が熱くなりました。一人だけ古くからの友人が「この世にケリをつけるなら、オレの口座に全財産を振り込め」というブラックジョークをくれましたが。 ちょうど昨日、年度替わりから朝日新聞デジタルの(アピタル)で「認知症とともに生きる」というコラムを書くことになったのですが、早く書き終えたので、前回のブログを補足することにしました。 介護の事や認知症の支援をしてブログを書くと、日々、さぞ真摯に人生に向き合っているか、というメッセージを投げかけてしまいますが、この3年弱の介護でボクは今の自分なりの発散法を考えてきました。 大変残念ながらこれまでの活動の3本の矢のひとつである講演会や講義は減らさざるを得ませんでした。2010年ごろまでま全国を年間100回程度、講演していました。前にも書いたように、診察と講演と執筆が自分にとって(広い意味での)臨床だと考えてきたからです。さすがに遠くには行けません。大阪から北海道の中標津に行き一泊して帰る、という講演は、妻の夕食時にボクがいなければならないという究極のわがままを聞き入れてアウトです。それでも5月には日帰りで沖縄のシンポジウムです。関西はらくらく行けます(笑)。診療だけではない「非日常」の世界はなくさずにいたいと思ってね。

日々のこと(9)介護の毎日を生き抜く

ボクたちみんなは人生という短い時間をもらっていて、それはあっという間に終わってしまうほどはかないものなのですが、その限られた時間を「自分が生きた」と思えるように努力し、余った部分では自分だけではなく、人のためにも何かを成し遂げた人生だったと思えるように生き抜くことが大切だと、最近、思うようになりました。 医者という仕事についていて、しかも認知症と言う簡単には治らない病気、いやむしろ難しい病気を持つ人と、その人と人生を送る家族を「支援する」という役割を果たしながら、その一方で妻が介護を受けなければならなくなった現実を受け入れ、それでも頑張っている介護家族を演じることには、多大なエネルギーが必要です。 ボクのような人間には重すぎる課題があって、それでも医者として、介護家族として、現実を生きる個人としてなければならないという人生からの問いかけに対して、自分は本当に応えられているのだろうかというこころの中からの問いかけが毎日続いています。 そこから解放されるには人生をあきらめる選択か、それとも宝くじが当たって7億円の資金が手元にあり、当面は経済的に何も心配することはないという恵まれ状況にならない限り、ボクのは目の前からなくなることはありません(笑)。 それでも夢を追い続けるための原動力はどこに求めればよいのでしょうか。たとえば認知症になったことを告知された人が「なお、生きる意味」を見出すことや、本人に認知症の自覚がなくても介護家族として課題をともに背負い、自分の人生を介護にささげることになった介護家族が、そのような状況下にあっても「人生には生き続けていくだけの意味がある」と悟れるような

日々のこと(8)足すのか引くのか

医者にはそれぞれ薬の処方について自分なりの「やり方」があります。ボクは小さいころから母が診療所内にある薬局で調剤しているのを見ながら、そこで「薬屋さんごっこ」をしていたような非ワイルド系でしたので、なんとなくその50年前の雰囲気を医者になっても引きずっているのかもしれません。診療室があり、カーテンを隔てた横の部屋が調剤室という昔ながらの「街の開業医」の風景です。皆さんの中にも診察室の隣にすりガラスの薬を出す窓があった医療機関のイメージを思い出す人がいるかもしれませんね。 医者になって医局に残って臨床経験を積み始めたころ、ボクが属していた精神科での処方は多剤併用の時代でした。「カクテル療法」とでも言いたくなるほど、たくさんの薬を混ぜていた記憶があります。今はできる限り単剤処方(ひとつの種類だけ)に努めていますが、こちらが減薬しようとすると不安になり、「先生、やっぱり薬は減らさないください。減ったら調子が悪くなります」と、こちらの減薬の申し出をことを断り続ける人もいます。 ボクの診療は認知症についてのみ当院で担当、身体各科の処方はそれぞれの先生が処方されるものに合わせるようにしていますが、どうしても認知症(若年性を除けば)は高齢者が多く、薬の副作用や多剤の場合の相互作用が出やすいのが特徴です。内科や整形外科などの複数医療機関からそれぞれ処方されている場合には、薬が10種類になることもあり、このような場合には当院からの処方はできるだけ「なし」にするようにして、全体での処方は引き算にするようにします。現在、ボクの外来診療は毎月800人ほどの人が来院され、登録者全体では1000人ほどです