2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

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日々のこと(1)毎日聞く言葉

今朝も5時半に起きました。いつもそうです。診療所の上階にいるようになって、妻の朝食の準備が終われば、その後は診療室に下りて書類書きが待っているからです。紹介された患者さんの返事を医療機関に書き、介護保険の主治医意見書も毎日2~3枚、医療機関や介護施設への情報提供書も合わせると5~6枚は書く日々です。 朝の診療が始まると、すぐ耳に飛び込んでくるのは認知症の人の悩みや哀しみです。それをできる限りしっかりと受け止めて、しかも深刻にならず「笑い」も含めた納得として返すことができれば、この中途半端な医者のボクでも何らかのことをしてあげられるかもしれません。 介護家族の言葉には特に注意しています。とくに次の3つの発言。「私は介護でつらい思いをしたことがない」という発言です。これはそのような発言をした介護者が、自分の時間も大切にして時には休みも取り、しっかりとストレスコントロールをしたうえで、このように発言しているなら、まったく問題はない発言です。介護者としても、時にはショートステイを活用しながら、釣り旅行もできているような場合でしょう。しかし実際にはこううまくいくことは珍しく、「辛くない」と言いながら、一方では体の調子を崩して「体が痛い」、「ふらつく」、「吐き気がする」といった症状に悩まされている場合です。この状況は介護者の過剰適応によって起きてきます。こころがくじけることがない強い介護者でも、体で表現していないか、気を付けることで介護者の破たんを防ぐことができます。 次にあげるのは「私は○○のために自分の人生をささげる」という介護者の発言です。自分自身を投げうって介護するほどの気持ちには

自分の役割(10)介護するこころが追いつめられないように

自分が妻の母親の介護家族として過ごした27年、母の末期がんに付き合いながら、彼女の人生を全うすることに協力した3年半(その時にはすでに妻は体調を崩して介護者として協力できませんでした)、そして妻を介護する2年半、先日も妻の夕食の買い出しのために午後の診療を終えて商店街に買い出しに行く途中に出会った幼馴染が「一生も大変なんやな、人づてに聞いた」と心配してくれました。 これまでに認知症をはじめとする高齢者虐待を防ぐことを、自分の臨床でも研究でも中心としてきました。残念ながら最近では来院患者さんがあまりにも多くなりすぎて、念入りな対応ができなくなってしまいましたが・・・・。 これまでの虐待への支援では、ボクはいつも「ソフトランディング」を手助けする役目でした。ご存知のように不適切で虐待とおぼしき行為を発見した場合、高齢者虐待の防止および養護者の支援に関する法律(いわゆる高齢者虐待防止法)により、当事者の命にかかわるかどうかを見極め、われわれには通報の義務があります。虐待の中には認知症の人の家族が悪意をもって行うものも多く見られました。 その一方でボクが一貫して担当してきたのは、ソフトランディングなのです。なぜならそういった支援が必要なのは、悪意などなく「何とか自分が介護して支えよう」と認知症になった親や家族を介護している人々です。あまりにも熱心で他人に介護をゆだねることができない傾向を持つ介護者が、いつの間にか介護に追いつめられ、認知症の行動心理症状によって振り回された結果、ふと気が付くと不適切な行為に及んでしまい、「しまった」と気づいた時には大変な事態に陥ってしまっていた、という展

自分の役割(9)辛い時こそあなたを思う私でありたい

今日で60歳になりました。若い時には、還暦になった自分はもっと大人でしっかりとした考えのもとに人生を生きているはずだと思っていましたが、何と人の気持ちは変わることなくフラフラとしているのでしょうか。こう思うのはボクだけでしょうか。そう思うのはボクがまだ青春の迷いの中にいるからなのでしょうか。それもいいかもしれません。介護家族になっても若い時と同じこころの中にいます。できれば人生を終えるまでこの気持ちが続けば・・・・・。 たくさんの介護職、福祉職そして医療職の人から、日々発せられるのが「辛くても人の役に立ちたい」という願いの言葉です。多くの人にとって「他者へのかけがえのない存在」として自分が在ることが人生の目的になっているかも。その人が生まれ育った環境も影響するのでしょうね。 ボクもそのような一家に生まれました。(医師として束縛される時間が長かった母を助けるため)母方の祖母に育てられたのですが、そのがまた古風な江戸っ子のような人でした。愛媛生まれである祖母は、人生のある時期に過ごした東京の下町になじみ、いつもボクに「人のためにならなければ人生じゃないんだョ」と豪語する家庭科教師でもありました。 その娘として医師となる道を選んだ母も開業医としての人生を全うし、亡くなる1か月半まで現場に立った人でした。父もまた苦労して歯科医師になり自分のきょうだいをすべて社会に送り出し、亡くなる日まで仕事を続けた人でした。 さあ、困りました、ボクは放蕩息子で親の七光りだけで生活したいのですが、親や祖母がこういった人生を送ると、それに続く自分も人のために人生を送ることが当たり前になります。親の後姿を見