2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

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自分の役割(8)21世紀老年

1964年の東京オリンピックの時は小学生でした。大阪の万博の時には中学2年生、自分が介護者として次のオリンピックの時には老年に近づくとは考えもしませんでした。 開業医になった年、行政からの依頼を受けて保健所(今は保健福祉センター)の嘱託医になり、たくさんの人を地域担当の保健師さんと巡りました。経験も浅い精神科医でしたが、就任した直後、脳外科の手術を終えて退院はしたものの、その後の後遺症(脳出血の後遺症 手術のそれではありません)のために大声が止められずに在宅で療養を受けているAさん(55歳女性)をたった一人で介護する夫のBさん(56歳)と出会いました。 Bさんとはとても気が合って彼の趣味だった鉄道模型の話や、ボクが小さい時に大阪万博でサンフランシスコ館に出会い、感激したことなどを話すようになりました。近くで診療所をしているボクに受診する妻の夫としてではなく、地域の保健所から訪問する嘱託医のほうがBさんにとって話しやすかったのかもしれません。その後、Aさんの行動面の障がいは診療所の医師として軽減しながら、介護家族としてのBさんを支えた経験こそが、ボクの診療の基本をなす「家族支援」の原点になりました。 やがてAさんの症状が落ち着き、Bさんも数年の介護を経て特別養護老人ホームに入所することが決まりました。介護保険ができる数年前のことです、夫婦にかかわったすべての人が安堵したことを覚えています。ところが入所して3か月、Bさんに手おくれの肺がんがあることがわかり、あっという間にBさんは亡くなりました。Aさんはその後15年ほどして亡くなるまで、その人ホーム(本当に優良なホームでした)で人生

自分の役割(7)あなたがいるだけで、この世界は意味を持つ

この言葉はボクの「座右の銘」です。ユダヤ人精神科医のフランクルが残した言葉で、人は皆、それぞれの存在だけでこんなにも価値があると、強制収容所における究極の絶望の中で見出した言葉でもあります。 不治の病に侵された人々や認知症という慢性で治ることが難しい病気の場合、それだけで絶望的になることもあります。でも、常に希望があると思い続けられるのは、先人が残したこのような言葉から発せられる光のためでしょう。 それは介護の日々の中で人を支えたいと願う介護職が、「自分の存在の価値を見出せるように」と願っている気持ちとも重なります。介護家族や介護職・福祉職と医療が組むことが認知症のサポートには不可欠であると思い、ボクも認知症の人や家族、そして介護職など支援者の支援をする際、これまで当たり前のように使ってきたフレーズであり、自分ではわかったつもりでいたのですが…、 「ちょっと待てよ」と思う日がこの2年半の間に何度もありました。 味がわからず料理ができなくなっただけではなく、気分が沈んで生活が思うようにいかなくなった妻のケアを始め、京都の自宅に置いておけないために実家の診療所上階で生活するようになって2年半、ボクは改めて自分がこれまでこの言葉を本当は理解していなかったことに気づきました。これが良い言葉で人のこころを打つこともわかっていたつもりでしたが、改めて今回、妻の介護という閉塞状況を経験すると、これまで感じなかったほど新たな希望の輝きを放つ言葉になりました。 人の支援者となる人生を選んだ皆さんにも今回はメッセージを送りたいと思います。あなたは自分の人生を削りながら、それでも人のために生きようと

自分の役割(6)あの人から私が消えゆく哀しみ

今回は認知症の人自身が自らのものわすれに気づいていないときに、家族の気持ちをどうやって支えるかについて考えたいと思います。ある程度に認知症の症状が出ているにもかかわらず、「自分は病気などではない」と医療機関受診を拒む場合、家族は途方にくれます。「早く受診して治ってもらわなければ、どんどん悪くなる」と、家族の気持ちが焦ります。しかしそのような時に無理やり受診してしまうと、その後、本人が「私を無理に受診させた」などと、その後の通院を拒否されることもあり、判断に迷います。家族には受診のタイミングをじっと待ちながらチャンスをうかがうことが求められます。 かつてアルツハイマー型認知症の夫を介護する妻から聞いた言葉があります。「先生、うちの夫は自分のものわすれが自覚できていないので私はいつも介護に苦労しています。デイサービスを利用してもらおうとしても『イヤ』のひとことでどこにも行ってくれません。薬だってそうです。どこも悪くないから飲まない、と言われればそれ以上は無理強いできません」でも、その奥さんのつらさは介護の大変さだけではなかったのです。 彼女は毎回の受診でボクに訴えてきました。 「先生、夫は自分から記憶が抜けていく悲しみを感じないタイプなので、自らのものわすれに悩む人たちより本人は苦悩がないかもしれませんね。でも、私は毎日、毎日、思うんです。これまで夫婦としてやってきたあの人の記憶から、私という人間がいたことが抜け落ちていくことが怖い。私にはあの人から私が消えゆく哀しみと向き合っている毎日です」、と。 『あの人から私が消えゆく哀しみ』と家族は向き合います。 ここに介護者・家族の哀しみ