ボクのこだわり、ふたたび(10)寄りそう

先週の連休の後、今週も3連休がありましたが、世間が「休みモード」に入っている時こそ、認知症の人の危機がおとずれます。担当する先生が休日のために不在だからです。昨年は「秋のシルバーウィーク」として一気に長い休みがあったため、ゴールデンウィークやお盆の時と同じように、前もって対策ができたように思いますが、今回は2週にわたって週末・週明けが3連休で、しかも天候不良が重なりましたので、予想より大変な経過になった人も少なくありませんでした。 いつも往診している施設に入居している女性も体調が悪く、食事量が低下してきました。いつもなら連携医療を大切にしているボクとしては、内科・かかりつけ医の先生にお任せするのですが、今回は誰も医師がいない状況になりました。 点滴のことや薬のこと、急激に低下する血圧などのサインと、そこから考えられる体のメカニズムとの関係を介護職と連携しながら数日かけて何とか無事に切り抜けたかな~。 そんな時、いつも思うのですが、ボクはもう20年以上、認知症の精神科医療だけをしてきましたから、急性期の医療を担当する医師とは異なり、「こういう状態だから、こう判断して、このように対応すれば、病状はこのように改善するだろう」という医療からだいぶ遠いところでゆる~く日々の医療をおこなっています(誤解のないように書きますが、これはボクだけのことで、認知症の専門医をしている精神科の先生にはしっかりと身体面がわかっている先生もたくさんおられますので、間違わないでくださいね)。 専門医として自分の担当だけに徹し、それ以外は別の先生にお願いすることができる大阪市内の医療状況だからこそ、こういう体

ボクのこだわり、ふたたび(9)空港に戻ると

昨日は久しぶりに北海道(恵庭市)の患者さんのご様子を診てきました。地域包括ケアの実践から考えると、かの地のドクターにバトンタッチしなければならないと思いつつ、いつの間にか何年も行き来することになっています。 普段、行けないには日々のグループホームでの様子も動画のやり取りでかなりのことがわかりますので、すごい時代になったものだと我ながら驚いています。この先、パソコンでの診療形態があたりまえのように展開するでしょうね。5Gの時代には「まるでそこにいるように」遠隔診療ができると思うと、どこかワクワクしますね。 昨日の帰路の便は新千歳空港から関西空港へ行く便しか取れませんでした。「~しか、取れませんでした」と書いては関空に申し訳ないのですが、ボクの診療所が大阪市の北東部、自宅も京都にあるため、いつも北にある伊丹空港(今は国内線専用空港です)を使っています。子どもが小さい時には家族旅行を関西空港便で始めることもありましたが、今回は札幌から関西空港までいつもの伊丹なら1時間半のところ2時間、その後、京都に向かう特急「はるか」に乗って1時間15分かかりますので、腰が痛くなってしまいました。 でもね、昨日わかったのですが、開港して25年も経つそうです。そういえば阪神淡路大震災や昨年の台風で橋が壊れて水につかったりしたにもかかわらず、空港は今でも古くなってはいません。メンテナンスをする人々の努力のたまものだと思いながら京都に戻りました。 京都駅も同様です。ボクが子育ての最中に利用していたのは、まだ2階建ての旧駅舎でした。それが未来都市と見まがうような立派な駅に変わり、ずいぶんたくさんの思い出を作

ボクのこだわり、ふたたび(8)人生の時期

これまでの人生を振り返ると(まだまだこの世からいなくなるつもりはありませんが・・)人生っていくつかの時期に分けられるんですね。皆さんも思い当たると思いますが、ボクもこれまでを振り返ると7~8年を一区切りにしていくつもの「時期」がありました。いつも書いているようにボクは勉強が好きでもないくせに長く学生生活を続けましたが、35歳でやっと医者デビューしてからも、何度か大きな方向転換の時期を迎えました。 医者になってから最初の時期は父の後を継いで診療所に戻った時、これからの時代を考えて老人デイケアに取り組んだ時期です。確かその当時、大阪市内で2つ目の老人デイケア(精神科デイケアはいくつかありましたが)だったように記憶しています。今ではデイサービスで当たり前になった感がありますが、当時は「診療所の一角でみんなが歌を歌って何をしているんやろ~」と言われて、苦笑いしたこともありました。 同時に介護家族のケアを考えた情報提供の時間+お互いの分かち合いの時間を組み合わせた「家族の集い」を続けました。今では地域や医療機関の家族会も当たり前になりましたが、当時は珍しく、いろいろなところから取材を受けたこともありました。 そうしているうちに始まったのがボクの教員時代です。大学や大学院の教員を開業と並行して続け、あっという間に教える立場も20年になろうとしています。でも、そこでの限界を感じたのが2014年、妻の介護が始まった時でした。教えに行ける所にも(地理的な)限界ができ、時間帯にも制約が出てきました。昨今の流れを考えると、社会人入学の大学院生の講義を担当したいと思っても、その時間には自宅にいないと妻