ボクのこだわり、ふたたび(5)受容か慣れか

不安定な天候の影響が出て、患者さんや家族の体調がすぐれず、いつの間にか7月が終わろうとしていて信じられませんね。今年は特に天気の話をしていたら年も後半になってしまいました。 夏、というといつも思い出すのが妻が調子を悪くして入院した2014年のことです。あの時には「人生、終わった」と思いました。何度かこのブログにも書いたように、その前の年までは海外での講演、講義が最低でも2回、国内では100回から120回の講演をこなしながら日々を送っていましたから、突然、妻が「ものの味がわからない」、「食事を作るどころか、食べられない」と言い出して、講演会の予約は残っている一方で、診療、大学院での講義、講演‥、これまでの日々が全く混乱してしまった「夏」がトラウマのように自分の記憶を支配しています。 ところが、昨日、往診に行ったグループホームの診察が終わり、帰ろうとしたときに、職員さんに「このまま安定しておられたら、次の訪問の予定はお盆休みあたりにしますね」と言ったところ、「先生、毎年、お盆には来てくれますが、たまにはお盆ぐらい休んでください」の一言。 ありがとうございます。だけど、その一言を聞いて思い出しました、2014年を境にしてお盆休みは全くなかったことを。診療所は3日ほど職員のためにも休みがありますが、その間、ボクはこの5年ほど、呼ばれれば応じて診療に行き、その帰りに妻の夕食を買い出して帰っています。 それがもう5年。長かった気もしますが、過ぎればあっという間でした。介護者のみなさんなら、この気持ち、わかってくれますよね。あっという間に5年がたった気がします。昨日も職員さんからその一言を聞

ボクのこだわり、ふたたび(4)心が痛い!

京都でつらい事件が起きました。 ボクが精神科医になってからも、埼玉の連続幼児殺害事件や大阪の小学校事件、秋葉原の殺傷事件など、反社会的な事件がありました。今回のことはまだ何もわかっていないから、軽々に言えないと思いますが、かつて認知症だけを診る精神科医になる前に、精神的な疾患を持つ人々を診ていた時期から思っていることがあります。 それは凄惨な事件を起こす人が、たとえ精神医療を受診した経験があったとしても、精神疾患と向き合う多くの「善き人々」とそのような人を混同してはいけないということです。精神科の「患者さん」は、そういった犯罪行為や、まして凄惨な事件を起こす人とは全く異なる人々です。認知症の行動・心理症状が出ている人の場合も同様なのですが、精神に変調をきたしただけで「危ない人」という、とんでもない誤解を受けることがあります。病的体験があっても、それを乗り越えて治療し、社会復帰を果たしている多くの人が、事件のたびに「犯人には精神的な病気があった」などとコメントされて深く傷つかれることも多く、こちらのこころも痛みます。 一般的な精神面、メンタル面の病気と向き合う人は、決して凄惨な事件を巻き起こして反社会性を出す人ではありません。むしろ心優しく、人の気持ちもわかる人であることが圧倒的に多く、一生懸命に社会復帰を目指す人々です。それがわかっているだけに酷い事件と精神疾患をすぐに結びつけるような誤った解釈を耳にすると、とても悔しいです。 重度障害のある人への攻撃や無差別のテロなど、どうして世界中でこのような「方向違いの怒り」から事件が起きるのでしょうか。いつも紹介するユダヤ人精神科医のビ

ボクのこだわり(3)認知症ケア専門士試験

昨日は3連休の中日、祇園祭の鉾の巡航が17日なので京都は人が多いなか、認知症ケア専門士試験が行われました。札幌や東京をはじめ京都も関西の試験会場となりましたので、ボクは会場の担当委員として一日を過ごしました。今年15回を迎える認知症ケア専門士試験ですが、関西地域の試験は伝統的に神戸(ポートピアアイランドの国際展示場)か京都(みやこめっせ)で行われます。うちから歩いて15分、ボクにとっては京都の試験場は歩いて行ける所なので、もう何年も会場の担当委員をさせてもらっています。 前にも書いたことがありますが、この学会が他の医学会や専門職が集まった学会とは異なり、多くの職種が集まっていることにボクは大きな意味を感じています。「地域包括ケア」を実践しようと思えば、この認知症ケア学会のように多くの職種が、お互いの違いや考え方のルールの差異を乗り越えて、自分の意見を言いながら、立場の異なる別の意見を受け入れなければなりません。当事者や家族の意見、そしてその人々と同じ立場の目線で話ができるか、それとも専門職が自分たちの殻に限定した範囲の考え方にとどまるか、試されているような場でもあります。 今年も1500人ほどの人が京都に集い、認知症ケア専門士、准専門士を目指して受験してくれました。例年のことですが、まる1日をかけて試験が行われるため、会場で体調がすぐれない人や、緊張感から調子を崩す人などが出ましたが、昨年のような天候の影響はなく(昨年は悪天候のために会場まで来られない人がたくさん出てしまい、大変申し訳なく思いました)、何とか終えることができました。 ここに会場担当員として参加するたびに、ボクは

ボクのこだわり、ふたたび(2)天候と症状

今回の内容は本当に個人的な「思い入れ」から書いています。決して万民が認めた学説ではありませんので、あくまでも参考意見として読んでくださいね。 臨床をはじめて10年ほど経過したころ、まだ地域包括ケアが今日のように叫ばれるようになる前には、認知症を診療する専門医が極端に少なく、診療所には広島や東京からわざわざ来てくれる患者さんが(ボクが良い医者であったわけではなく、どこへ行ってもうまくいかず困り果てた人が多かったのですが)来院してこられました。今では全国にものわすれ外来があり、地域には認知症サポート医がいて、しかもたくさんの認知症疾患医療センターが配備される時代になりましたので、再び現在では近隣の人が来院される時代になりました。地域包括ケアの概念で謳われているように、住み慣れたところで認知症の当事者や家族が安心して生活ができ、必要なら30分以内に連携した多くのサービスや近隣住民のサポートを受けられてこそ、地域住民としての安心が得られます。 しかし以前はそうして遠方から来る患者さんが多く、ボクはあることに気づきました。広島や岡山からくる人の具合が悪くなった後、次は神戸、大阪や京都、そして愛知、静岡と、(あくまでも印象ですが)西から低気圧が近づいてくるにつれて、認知症の一部の当事者の体調や日内リズムが悪化し、こだわりが増え、被害感が出る場合や怒りっぽくなることがあったのです。 もちろん、すべての人にそういった変化が出るわけではなく、10年通院している人で、全くそのような変化の影響を受けない人もいれば、診察室に入ってくるなり「今日はあかん~」と言いて来られる人とボクが同じような調子である