特別メッセージ:生きる役割を演じきる

前回、今年度最後のブログですわ、と書いたけれど、本当に年度末になって書いておかなければならないことができました。 昨年の夏の終わりから秋にかけて体調を崩し(介護者や支援職の人にも自律神経を崩しやすかった人が多かったと思います。それほど低気圧や気温の変化が激しかったからですが)、ボクもちょっと疲れていたからかもしれません。新患者さんの診察数を少しでも増やし、初診までに待ってもらう時間を少なくしようとして、よせばいいのに体がきつい時期に新患さんの予約を増やし、大変なケースが増えたことも一因だったかも。年度末に近づくにつれて、体の疲れが取れなくなると同時に「こんなことを毎日やっていて、人生に意味があるのかな」などと、とんでもないことがボクの頭をよぎるようになりました。 先日、そのことをぽつりと介護職の仲間に漏らしてしまいました。それを聞いた彼女は「そ、そんなこと言ってはいけません。先生を必要としている人もたくさんおられます」との一言。ボクがそんなことを言うとは思わなかったんでしょうね。多くの人が待ってくれているな~とは思う一方で「あ~しんど(疲れたび~)」とも思っていました。 昨日のことです。長年にわたって認知症になったおかあさんと、それを介護するお父さんを見守り続けてきた息子さんが診療所に来てくれました。当初は自らの認知症を認めなかった女性が少しずつ自分の症状を認め始めるまでに数年がかかりましたが、その間に体調を崩したのは介護者である夫の方でした。介護が始ま手から何年か経過したころ、夫の腎不全が悪くなり透析をしながらの介護が続きました。 その介護生活が先月終わりました。彼女が施設で

生きる場所(10)それでもね、ボクらはこの世界を生きていくよ

クライストチャーチのモスク乱射の報道で怒りに満ちてブログを書いていた時、ふと小さい頃のことを思い出しました。ボクはカトリックの洗礼を受けたのが7歳の時でしたが(生まれた時に洗礼を受ける人も多い中、うちの親はボクにある程度の「自分」ができてから洗礼を受けるように仕向けたようです。)、その時、母にあることを聞いた覚えがありました。 自分らしいと言えばまさにボクらしい考えです。「洗礼を受けて祈れば、ボクは人よりできるようになるのか」と母に聞きました。カトリックのご利益(りやく)はあるのか、と聞いたようなものです。その時に返ってきた言葉は期待を裏切るものでした。「いっしょう、おまえが洗礼を受けても幸せになるとは限らないよ」 信じられませんでした。ボクは神の子になるなら誰よりも力を得て、だれと比べても力をもらえると思ったのですが。 しかし厳しい言葉が返ってきました。 「信仰はご利益を求めるものではなく、自分が信じた信仰のある生活の人生を舞台と考えてごらん。それがうまくいくか行かないかはともかく、お前が生きる「生きざま」を通して周りの人が幸せになるように、苦しい時にもお前を導き、人のために生き抜く決意をするのが信仰というものなんだよ」 いい加減にしろよな、おふくろ。それが7歳の子供にいう言葉かよ。そんなことを聞いたらボクは人生をかけて「善き人」として人生を送らなければならないじゃないか。 今でもその時の記憶ははっきりと覚えています。そして62歳のボクは、笑ってごまかすしかない人格になってしまっていますが・・・・。 先日、あるところで認知症の市民啓発のための講演会をしたとき、講演を聞いてくれ

生きる場所(9)緊急声明:祈りの場を汚すな

3月15日にUPした原稿で2年間にわたる朝日新聞デジタルの「認知症と生きるには」のコラムが最終回を迎えました。実際にはこれで終わりではなく4月から新しい内容で「認知症と生きるには」のタイトルそのままに新シリーズが続くことになりました。その思いを書こうとしていたら、とんでもないニュースが飛び込んできました。 ニュージーランドのクライストチャーチでモスクが乱射されました。亡くなった人が50人。祈りの場にイスラム教の礼拝日である金曜日に集い、祈りをささげている人に向かって犯人が乱射しながら、その様子を配信するという信じられないテロです。 宗教の違いはあっても、どの宗教でも「崇高」な存在に向かって敬虔な祈りをささげるために人々が集まります。今ボクが住んでいるマンションからも平安神宮の大鳥居のてっぺんが、そして東山の清水寺の屋根が見えますが、だれでも信仰の対象になっているものに対しては、礼節と畏怖の念を持つはずです。どの宗教が正しくて、どれが優れているかなどは問題ではなく、人という存在が家族や仲間のことを思って祈りをささげる信仰の場所は決して汚(けが)してはなりません。 平安神宮や清水寺、バチカンのサンピエトロ寺院で乱射事件が起きることなど想像すらできないように、モスクの礼拝を乱射されたイスラム教の人々のこころの傷の大きさを思うと、いたたまれません。ボクはたまたまカトリックというキリスト教の中で生まれましたが、宗教的背景がない人であっても神社やお寺の荘厳な雰囲気の中では、その宗教に敬意を払うべきものであることは人類共通の価値観だと思います。 特に今回の事件は信仰の厚いイスラム教徒の人々が

生きる場所(8)この春、もう8年になるのか

もう8年もたったのですね。まだ、つい昨日のように思える人も多いはず。2011年は誰もが忘れることのない東日本大震災とそれに続く原子力災害の時。黒い津波が押し寄せてくる仙台空港の中継をリアルタイムで見ながら、3年半に及ぶ手遅れで末期の腹腔内がんとの闘いの最終段階に来ていた母が「こんな風景を見るとは。あの戦争の時の大阪大空襲以来だ。」とつぶやいた日でもあります。そして「こんなことになるぐらいなら、私の残りの命をささげてもいいから、なかったことにして時間を戻したい」とも言った日です。それから3か月後、母は自分のこの世での役割を降りました。 あの日、ボクは大阪府医師会の「認知症サポート医」研修会に出ていました。講師を依頼されることもありますが、あの日は会場の机に向かって講師の先生の話を聞いていました。その時です、急にめまいが起きて「これはまずい。こんなところで倒れられない」と思い、必死に耐えていたところ、どうも様子がおかしいのです。周りにいたサポート医の先生方も動揺して、ボクとおなじようにざわついています。天井を見るとシャンデリアがゆっくりと揺れているのが目に入りました。その時初めて、これがボクの体調からくる眩暈ではなく、地面が揺れているのだということに気づいたのでした。 後に目にした横浜のビルの横揺れなど、激しい動きに対して、あの時の大阪はゆっくりと長時間にわたって揺れ続けました。かつての阪神淡路大震災とは全く異なる揺れだったため、地震とは気付かずに10分ほど時間が経過したのでしょう。 あれから8年、母を見送ってから8年、首都直下地震や富士山噴火、東南海トラフの地震、大阪では上町断層

生きる場所(7)認知症という希望

あと2か月で平成は終わりですね。いよいよ5月末には日本認知症ケア学会の第20回大会が京都、宝ヶ池の国立国際会館で開かれます。学会理事長の繁田先生が京都大会の大会長でタイトルは「認知症という希望」。 ボクも一般演題を発表します。本当に久しぶりです。妻の具合が悪くなる前にも数年、母のがんとの闘病があったため自分から学会発表の演題を投稿することなく、学会から依頼されたシンポジウムや基調講演の依頼だけに応じてきました。「学会へのわくわく感」が薄れてしまい、学会や大会を運営する方になっていたことに気づきました。「いけない、いけない。管理者側になるには早すぎる」とボクの中の誰かが訴えてきます。もう62歳になっているから、管理者はおろか定年などと言われるかもしれませんが、いえいえ、まだ現役です、気持ちだけは。 認知症という病気は今でも手ごわくて、完全に良くすることが難しいのは誰もが知っていること。でもね、今度の大会に「認知症という希望」と題がついているのは、認知症になったら何も希望なく、ただ、人生の終焉を迎えるだけではないことを、みんなで共有したいからなんですよね。特にボクはこのテーマから、命のバトンリレーを行うわれわれが、人は誰も『死』から逃れることができない存在であるとともに、認知症ケアを通して次の世代に「人生について」伝えるチャンスがあると考えているんです。かつて中世のヨーロッパにペストがはやり、多くの人が亡くなる事態を迎えた時に、人々はラテン語でmemento mori (人は皆、死ぬものだということを忘れるな)という言葉を残して、「人生はいつ何時、ペストであっという間に終わってしま