仲間として(2)ボクを育ててくれた学会

歯科医、医師になって当然のようにさまざまな学会や医師会に属してきました。ボクはあまり集団の中で動くタイプではないのですが、それでもこれまでいくつもの団体に所属しました。 妻の介護をする前から妻の母の介護者でしたので「認知症の人と家族の会」といった組織とも(会員にしてもらって)連携してきました。 多くの学会との関係がある中で、忘れられない出会いがあります。2000年の介護保険を直前に控えたころ、新聞の小さな記事で(10行もなかったように思いますが)日本認知症ケア学会という、医療、看護、介護、福祉、建築など、認知症というキーワードをもってさまざまな専門家が一堂に会する学会ができることを知りました。 「これは願ってもない学会ができる!」と思いました。ボクは歯科医の頃から、そして医者になっても家族や実際のケア現場の意見を聞き、生活の様子を知ることで認知症への医療はしっかりとかかわれると思っているからです。 会員番号88番で入会させてもらいました。その学会が認知症ケア専門士の制度をはじめ、学会員も30000人に迫る大きな組織になりました。 忘れられないのが第1回の学術大会、東京の砂防会館(シェーンバッハ砂防)に集った330人の人びとの前で、シンポジウムの発表者として呼んでいただき、そこで初めて認知症の人が人生の最終段階で受ける医療やみとりの医療の発表をしました。その後、2004年に第1回の読売・認知症ケア賞奨励賞を頂くことができて、ボクの臨床医としての「決意」が決まったように思います。妻の介護で思うように大会や講演に行くことはできなくなりましたが、それでもできる限り参加しつづけたいと思い

仲間として(1)2018年7月・西日本豪雨

毎年、夏が近づいてくると寒がりのボクは「これで寒い思いをしなくて良い」と気持ちが晴れてきます。でも、夏の初めにほぼ毎年出合う各地の水害の事を考えると、複雑な気持ちも。 かつて昭和57年の長崎の大災害をはじめ、4年前の広島の水害、数えきれないほどの天災がこの国に襲いかかってくることを知っているからです。 2018年7月8日は認知症ケア専門士試験の日でした。全国の会場で試験が行われ、6000人ほどの人が受験し、ボクは京都会場(関西、四国、中国地方)の担当をしていました。しかし、まさにその前日に襲いかかった大雨で川が氾濫し、受験できなかった人も多数おられました。何か月もかけて受験勉強をしたのに、前日の豪雨のために受験会場まで来られなかった人も多かったと思います。 全国の会場で一斉に受験がおこなわれ、多くの人が受験する試験では、予定を変更して別の日にやり直すことができませんでした。しかし被害が明らかになるにつれて、この災害がいかに大きなものであったか、わかってきて、ボクは愕然としています。 かつて大学教員として何年間かゼミの学生を指導したことがありました。ある時期に担当した学生が介護職になり、数年ぶりに今年の認知症ケア専門士を受験するというメールが来ました。 (薄情な教師で)そのメールの相手が最初は誰なのか名前と顔が一致しませんでしたが、そんなボクにも嬉しい報告でした。かつて大学教員として育てた人が、介護職として経験を積み、認知症ケア専門士を受験してくれるのですから、教育の方向性は間違っていなかったと思える展開でした。 しかし、今回の大雨で彼は受験会場に来ることができませんでした。試験