出合う人々(3)認知症ケア専門士

ボクの臨床医としてのこころの拠り所である日本認知症ケア学会ができたのが2000年(平成12年)の事でした。当時、学会と言えば医師は医学会、看護師は看護学会というように、職種によって分かれる傾向がありましたが、この学会は広く「認知症ケア」というキーワードの元に、多職種がその垣根を超えて集まりました。 当時、ボクはまだ数少なかった老人デイケアを大阪で診療所と併設してやっていましたので、認知症という病気に対しては、介護(ケア)と医療が連携することの大切さ(と、いうかボクの医療の未熟さ)を実感していましたので、この学会の発足に「これだ!」とばかりに飛びつきました。 その認知症ケア学会が作った(民間の)資格が認知症ケア専門士の制度です。認知症ケア学会が他の多くの学術団体と異なるのは、現場でケアの仕事に就いている人や、かつて介護家族で会った人でも(ケアの現場の経験を積めば)入会しやすい点にあり、研究のみならず現場を知る多職種の視点を持って、認知症の人や家族を支える点にあります。 国家資格ではありませんので、その認知症ケア専門士の資格を取ったからと言って給与が格段に上がるわけではありません。最近では認知症ケア専門士を評価してくれる施設が増えて評価してくれるようになりつつありますが、専門士の数が30000人もいる割には配慮してくれる施設や医療機関はまだ多くはありません。 介護保険ができた時のケアマネジャーも、あれほど難しい試験を突破してなったにもかかわらず(ボクも第1期のケアマネ資格を取りましたョ)、なかなか評価されない時代がありました。 医療と介護の連携、そこに福祉や行政、そして地域の力を結

出合う人々(2)人生が変わるとき

ある友人が体調を崩しました。ボクが2014年、妻の介護をしなければならなくなって、先の人生に絶望していた時に出会ったその人は、ボクを「必要だ」と言ってくれました。そのことでこの数年、自分が今置かれた場所で、これまでとは違った流れの中にいても、新たな役割を模索することができることを知りました。 その恩人が今、困難と向き合っています。その人を助けることができるほどの力のないボクは、それでも力になりたいと思っています。迷い、苦しみ、先が見えない時にこそ、黙ってそばにいてくれる誰かが必要になるかもしれませんから。 これまで多くの人との出会いや別れがありましたが、いつも心に残っているのは、自分が好調で大きく見える傲慢なボクではなくて、とんでもない失敗や人には言えないことをしでかした時期に、それでも傍らから見守ってくれた人の姿です。 最もつらい時にいてくれた人々との出会いが、今の自分が生きていることへの証明、生き続けることへの理由です。 認知症の親の介護をしている子ども、支援することを人生の目的にしている介護職、妻を介護するオヤジ、立場の違いはあっても、誰もが困難に立ち向かう時があります。勇気が試されるその瞬間に、だれもが戸惑いながら、泣きながら、それでも前を向きながら‥‥。 ボクが精神科医になって以来、ずっと会員を続けてきた日本家族研究・家族療法学会で、ある先輩に教えてもらった言葉があります。その先生は若かったころのボクにこう言いました。 「松本くん、人生を一人の人間に例えるなら、何もなくて安泰なのは15%、それ以外の85%は困難に立ち向かう人生、そして家族全体を一人の人間に例えるなら、

出合う人々(1)他者のための存在

日々を認知症の人とその家族のみなさんと過ごしていると、ある種の「流れ」が見えてくることがあります。流れ、それもその人が「生きる」ことに対する流れです。認知症という 病気になったその人が、これまでの人生で他者との関係性において、どのように生きてきたかをしっかりと把握することは、ボクの臨床では何よりも大切なことになっています。 たとえばその人が自分の人生をかけて誰かを「救う」仕事をしてきた人である場合や、町内会、消防団、ボランティア活動などをしてきた人の場合には、たとえ病気によって記憶力や判断力が低下したとしても、前頭葉がしっかりとしている限り、自尊感情が豊かに残っているものです。自尊心、それが悪い意味での自尊感情ではなく、良い意味で「これまで人を支援することに費やしてきた」という自負心ともいえる感情です。 そのような気持ちを持って生きてきた人が、たとえ認知症という病気の診断を受けたとしても、すぐ「ケアされる立場」の自分を受け入れられるはずがありません。病気がかなり進行してしまった人なら抵抗がないかもしれませんが、多くの人は自分の立場が大きく変わり、「する側からされる側に変った」という事実を受け入れるために、こころの切り替えが必要です。 ゆっくりと自尊感情を尊重しながら、その一方でこれまでできたことができなくなる病気の症状と向き合うことで、認知症の人は自信をなくすこともしばしば、です。その迷い、嘆き、不安と寄り添いながら、少しずつ自分の状況を受け入れる手伝いをすることが、ボクのような立場の役割だと思っています。 一方で家族介護者にとっても、これまで人を支援してきた人、人よりも能力を