ゆれる気持ち(2)NY日系人会のこと

今年も9月15日がきました。かつての敬老の日です。2009年、当時、ニューヨーク総領事館の医務官をしていた関西医大精神科の吉田常孝先生のお招きをいただいて、当時のニューヨーク日系人会のみなさんにお会いすることができました。長い年月を日本から移り住んで、いつの間にか歳を重ね、高齢化の課題や認知症ケアが必要になった彼らのことを知り、同時に日本の介護保険の話や認知症の講演会などをさせていただきました。 NYは2001年にトレードセンターに飛行機が突っ込んだ忘れられないテロと、国連総会の時期の間のこの時期(日本の旧敬老の日)にシルバーウィークを開催され、ボクは何度か参加させていただきました。 「さあ、この次も行くぞ、特に遠距離介護になっている日系人会のみなさんのお役に立てるように」と思っていた時に、妻の病状が悪化して全く外国に行くことができなくなったのが2013年の晩秋でした。 妻の健康が保たれていればNYに在住する人たちが、日本で生活する年老いた親の介護のことを心配している場合、「ボクが相談に乗ってあげたいな」と思っていましたので、交流が続いていればボクのライフワークとして続けられたのに…、残念です。 これまでも遠距離介護はずっと家族支援をしてきました。長崎のお母さんが老人保健施設におられ、そこへ月1回帰っている娘さん、ドイツ人と結婚してフランクフルトで生活している娘さんの大阪への介護帰省(お母さんが診療所の近くで独居)、国内でも北海道の東(道東と言います)に住む娘さんや沖縄の息子さんが大阪で一人暮らしをしている親の介護に行き来することなど、遠距離介護はボクの診療所があるような古くて

ゆれる気持ち(1)掲載1年経過

あっという間にこのブログを掲載して1年(9月5日で)がたちました。自分のことも、そして専門にしている認知症医療やケアについてボクのゆれる気持ちを綴りましたが、みなさんの参考になったでしょうか。認知症を支える立場にいても、日々の臨床や妻の介護によってこころが乱れること、悩むことは尽きません。毎日を過ごすことは「それでも今日もまた生きてみるか」という意思の積み重ねなのでしょう。 若いころから自分がうまくいかないとき、自分が思ったような力を出せないときに、ボクはいつもこんな風に考えました。「今日、うまくいかなくても、明日はよくなるかもしれない。一気に思うようになる人生ではなくても、今日より明日に希望があり、たとえ交代することがあっても、日々、少しずつ良くなると思えば、人生の先には明るさがあるかもしれない」、と。 年月が過ぎ、若くはなくなってきたボクも、ついこの間までは同じように考えていました。ところがその考えを一変させられる出来事が起きました。妻の介護です。何度も書きますが、妻は何もできないのではありません。長くは歩けませんが、ホームヘルパーさんに同行してもらえれば商店街までの往復は歩けます。療養していると言っても、家の中では自ら食事もでき、簡単な洗い物などはできています。肝心な「自発的に何かをすること」ができず、これまでやって来た日々の買い出しや献立が全くできなくなってしまったことで妻も人生の目標を失いました。 認知症の人も、かつては難なくできたことができなくなる「喪失体験」をくり返します。人は自分ができていたことに自信がなくなり、できなくなってしまうと、自信を無くして「「できない